臼杵市議会 2019-12-11 12月11日-03号
私は、野津町吉田地区のこのメガソーラー計画について、市長は計画を進めていいという立場にあるのか、あるいは、これほど深刻な問題があって、地元の反対も強くて不安が払拭できないのであれば、中止すべきだなというふうな思いがあるのか、あるいは、災害対策や水害対策などの対策を立てて、進めるべきだと思われているのか、聞きにくいんですけれども、率直にそこのところを気持ちを教えてください。
私は、野津町吉田地区のこのメガソーラー計画について、市長は計画を進めていいという立場にあるのか、あるいは、これほど深刻な問題があって、地元の反対も強くて不安が払拭できないのであれば、中止すべきだなというふうな思いがあるのか、あるいは、災害対策や水害対策などの対策を立てて、進めるべきだと思われているのか、聞きにくいんですけれども、率直にそこのところを気持ちを教えてください。
道路、河川の被害状況ですが、市内の中でも吉田地区の被害が特に大きく、吉田地区の浄水場に土砂が流入し、吉田地区の全域と三間地区の一部で断水の被害が生じていました。 保健活動を行った吉田地区は、平成の大合併で宇和島市と合併した旧吉田町で、宇和島市の北部に位置し、拠点となる宇和島保健所から車で20分ほどの距離です。
道路、河川の被害状況ですが、市内の中でも吉田地区の被害が特に大きく、吉田地区の浄水場に土砂が流入し、吉田地区の全域と三間地区の一部で断水の被害が生じていました。 保健活動を行った吉田地区は、平成の大合併で宇和島市と合併した旧吉田町で、宇和島市の北部に位置し、拠点となる宇和島保健所から車で20分ほどの距離です。
また、愛媛県宇和島市では、3市1町で構成する南予水道企業団の吉田浄水場が、土石流で壊滅的被害を受けたことにより、吉田地区、三間地区全域の6,568戸、1万5,317人が断水被害を受けたものでございます。
また、愛媛県宇和島市では、3市1町で構成する南予水道企業団の吉田浄水場が、土石流で壊滅的被害を受けたことにより、吉田地区、三間地区全域の6,568戸、1万5,317人が断水被害を受けたものでございます。
宇和島市の中でも北部に位置する吉田地区となります。 今回の保健師等の派遣先である宇和島市の被害状況といたしましては死者11名、負傷者18名となっており、住家の被害につきましては1,307件となっております。宇和島市では、吉田地区での被害が特に大きく、地区内の浄水場に土砂が流入し、吉田地区の全域と三間地区の一部で断水の被害が生じておりました。
宇和島市の中でも北部に位置する吉田地区となります。 今回の保健師等の派遣先である宇和島市の被害状況といたしましては死者11名、負傷者18名となっており、住家の被害につきましては1,307件となっております。宇和島市では、吉田地区での被害が特に大きく、地区内の浄水場に土砂が流入し、吉田地区の全域と三間地区の一部で断水の被害が生じておりました。
そういうこともございまして、最近、避難所のことを地域の皆さんとお話しするんですが、やはり吉田地区から中尾・大正・岩本方面、避難所から若干遠ございますので、やはり玉来駅の周辺に集会所もできる避難所の設置がどうしても欲しいという要望も挙がっております。
7月10日に日本水道協会大分県支部から、宇和島市吉田地区、旧吉田町になりますが、吉田町への給水車の派遣依頼があり、7月17日から23日までの7日間、4名の職員と給水車、2トン車でありますが、派遣をいたしました。派遣は各班2名の2班編成とし、第1班が7月17日から20日まで、第2班が7月20日から23日まで、応急給水所の貯水タンクへの注水作業や住民の方への給水活動に従事いたしました。
その後の活用につきましては、現有施設は将来的には取り壊し、阿部議員の今回のご提案や市民の皆さん、地元吉田地区の皆さんのご意見も伺い、あり方を検討していくこととなりますが、移住・定住の候補地としては非常に閑静で魅力的地域であるということは認識しております。今後とも検討を引き続き行いたいとうふうに思っております。以上でございます。
玉来の吉田地区にあります、この南山荘、約34年間、多くの市民の高齢者の皆さんへの福祉のサービス事業として、展開をしてきています。この南山荘も来春にて閉鎖をされることになっています。南山荘を温かく見守ってきた吉田自治会の皆さんや、南山荘を訪問し、入所者の皆さんを激励したり、散髪や食事等々、様々なサービスの提供をしていただいた多くの個人や団体の皆さんには、本当に敬意を表したいというふうに思います。
はじめに水害の検証と、文化会館及び小規模住宅建設について、大野川沿いの検証をいつ行うのか、その中で吉田地区、この吉田地区というのは玉来川と大野川の合流点から大きく蛇行して上の方、恵良橋がございまして、その上に吉田八幡社がございます。この間の農地災害の大きな検証が、まだ、されておりません。
少しサフランの歴史のことを話させていただきますが、約110年前に玉来吉田地区の吉良文平さんという方が、神奈川県の添田辰五郎氏から球根を譲り受けまして栽培を試みたと、そういう歴史から始まっております。最初はずいぶんサフランの栽培に苦労されておりまして、病気等の発生等もございまして、うまくいかなかったという歴史を勉強させていただいております。